水堀 祭典親睦委員会(T-Backs)

三番觸の役割

 三番觸は祭組の中で鈴を持つことが許される3町のうちの一つで、東区では権現町が古来よりその役を受け持っています。

 権現町は昔、権現小路と言われ、それは町内にある熊野神社(熊野権現)から名付けられています。 権現町の熊野神社も全国各地にある熊野神社の一つで、その神社がここにあるということは、古来より権現町の地域が発達していたと考えられます。

 このように権現町は、三番觸という重要な役割を受け持ちますが、また隔年で「輿番」という最も重要な役も受け持っています。

 しかし「輿番」によって「三番觸」の行動を変えることは一切ありません。 「輿番」の役には70名を超える多大な人数を必要とします。

 また「三番觸」の人数も多く必要とします。 よって、役の重なる年には100名を超える人数を必要としますが、古来より権現町はこれらの役を1町で受け持ち、全うしてきました。 それは権現町の誇りでもあり、以下に町内が結束して祭に取り組んでいるかを示すものだと思います。

觸鈴の準備

 毎年、祭が始まる前の2か月ほど前からその年使用する觸鈴の準備を始めます。

 まず昨年使用した觸鈴を確認し、使用可能な觸鈴は修理に回します。 使用できない鈴は廃棄します。

 修理は鈴の鳴り具合、鈴の傷み具合から鈴の形を整え、口部分を幅3ミリに削り、割れた部分は半田で補強します。 また縄(縄については後述)のゆるみを確認し、緩い場合は再度新しい縄に取り替えます。 鈴のぐらつきがあれば、再度くさびを打ち直し、出来上がった觸鈴を振って他に不具合がないか確認します。

 三番觸の鈴は他の鈴と大きく違い、持ち手には縄を巻いています。 縄はその年収穫した藁をよって(よじって)およそ5ミリ径の縄とし、その縄を鈴の柄に巻きます。 また、柄の両端に付く鈴はくさびで打ち止めをしています。

 まず、くさびを打ちために2ミリほどのスリットを両端に入れた柄を用意します。 柄の両端に鈴を取り付け、鈴が回らないようくさびでしっかりと固定します。

 次に、柄が折れた場合でも鈴が落ちないよう、2個の鈴を柄に沿って麻紐で結びます。

 次に、柄に縄を巻きますが、縄は予め湿らせ、鈴に触れないよう、また隙間がないように密着させて固く巻きます。

 藁はそのままでは乾いているため、その状態で巻くと被る水や汗の水分で縄が伸びてしまい、縄が緩んでしまいます。 よって、縄は予め水で湿らせ、その状態で柄に巻きます。 こうすることによって祭中でも縄が緩むことが無くなります。

 新品の鈴は毎年見付天神から5組(10個)を貰い受けます。 この鈴の音色を組み合わせ、新たな新品の鈴3組を作りますが、音色が合わない場合はストックしてある鈴の中から音色の合う鈴を出し、組み合わせます。 以前、鈴の入手が非常に困難だった時代があり、権現町ではそういった場合に備え、鈴をある程度ストックしています。

 こうして出来上がった新品の觸鈴は音色により、お渡りに使用する「觸流し」、見付天神社殿で使用する「堂入り」、裸祭が開始されるときの「出発」の3つを用意し、これらに見付天神から貰ってきた榊の小枝を麻ひもで縛り、裸祭が始まるまで熊野神社に奉納します。

 これらの觸鈴作りは書くと簡単そうですが、それぞれの工程で熟練が必要であり、毎年1つずつの工程を習得しても完全に習得するのに5年は優に掛かります。 権現町はその技を継承すべく活動を、毎年の觸鈴作成時に熟練者によって行っています。

鈴振り練習

 新たに加わった若い振り手には、毎年鈴振りの練習を行っています。 觸鈴は鳴ればいいというものではなく、鈴を止めたときの「キン」という「切れる音」が必要です。 この音を出し続けるというのは熟練の技が必要であるため、権現町裸祭り保存会の熟練者が振り手の前腕がパンパンに張って握力がなくなるまで指導しています。

 また同時に、道中練りでの鈴の受け渡し、鈴による梯団の進め方、および觸流し時の鈴のなら仕方についても伝統を継承すべく、指導を行っています。

浜垢離

 バス2台に各2個の鈴を持っていきます。 海水でお清めの際、鈴を鳴らします。 鈴は海水が入って傷むため、基本的には古い鈴を使用します。

子供連の鈴

 子供連も同様に権現町のみが持つことを許された觸鈴を道中で使用します。 しかし、子供が觸鈴で「切れる音」を鳴らすことは困難なため、一回り小さな鈴を仕入れ、柄も短くした觸鈴を使用しています。 鈴玉が若干小さいので音が少し高くなりますが、子供でもしっかりと鳴らすことができます。 子供連ではこの觸鈴を5個練りに入れています。

宵祭鈴持ち

 道中の練りには約30丁の鈴を持っていきます。 これは鈴の音が悪くなったり破損したときに交換するためです。 よって、それらの鈴を持つ「鈴持ち」をすぐ交換に対応できるよう2名梯団前方に配置します。

出発様子~進行

 午後9時、裸祭開始の花火の合図で「出発」の鈴を振りかざし、権現町の裸種は権現町集会所前から出発します。 見付本通りに出て東に向かい、東区梯団の各組を吸収しながら愛宕坂を登り、三本松の御旅所まで東進します。 三本松の東の境で折り返し、最後に富士見町の裸衆が合流して東区梯団が形成されます。

他の梯団は天神社へ向かう道中の最後に愛宕坂を登りますが、東区梯団は先に通過しているため、直接見付本通りから天神社へ向かいます。

道中練

 「三番觸」の鈴は梯団においてその練りをまとめること、およびその運行を左右します。 よって子供連もそうですが、群れの前方から見える位置に常に鈴の振り手を配置します。 そうすることによって練りの集団を進めることも止めることも可能となります。 東区梯団での振り手は権現町の者に限られ、振り手は緑の印を手に巻くが、その振り方、鈴の管理をする「鈴見廻り」の役も10名程梯団の各所に配置しています。

堂入り

 天神社の後押し坂を登り、六つ石に差し掛かると鈴を「堂入り」の鈴に交換し、ここから一気に堂入りします。 既に3つの梯団が天神社拝殿に入っているため、拝殿は身動きできない状態になっています。

 権現町の振り手は鈴を中心に周りを固め、鈴が単独にならないよう注意を払っています。 拝殿内では〆切(富士見町)が堂入りするまで鈴を振りますが、状況を見て、早めに鈴を降ろすこともあります。 特に輿役の年は引き続き渡御があり、輿役と兼ねている振り手も多いため、早めに鈴を降ろし、渡御に備えます。

御渡り

 渡御において、觸鈴は神輿の前で、觸榊と共に町を清めながら総社まで移動します。 一番觸、二番觸が出た後、山神社横で待機していた榊役、觸鈴役は山神社前に進みます。

 御先供の「三番觸」の読み上げと同時に一歩前に進み、榊役は三番觸の榊を貰い受けます。 榊には素手で触ることができないため、白丁の袖を榊に巻いて受け取ります。 権現町では、古来より榊役は白丁に烏帽子の身なりで、輿役と同じです。 觸鈴役、ならびに払い役は白丁は同じですが、烏帽子を被らず、権現町の手拭いを首に巻くことになっています。 なぜこの格好なのかは分かっていませんが、古来より行ってきたこの身なりを継承すべく、新たな役持ちにも指導しています。 昔は觸榊役、觸鈴役は見付本通りの大瀬屋(住吉入り口)、中川橋、総社入り口で交代していたが、戦後の人員不足から30年ほど前より交代要員を設けていません。

 山神社で榊を受け取った觸番は後押し坂を下り、本通りに出て神輿が坂を下りるのを待ちます。 そして、神輿が進行したのを確認し、神輿との間隔を50~100メートルほど保って総社に向かいます。 渡御が終わると夜が明けた昭和35年以前から言い伝えられている「三番觸が来ると輿がすぐ来る」というのは、古来より三番觸がしっかりと輿との間隔を測って行動しているからなのです。

 渡御での觸榊は西坂まで清めるため、觸鈴役は総社に向かいますが、榊役は一気に本通りの西の端まで走り抜けます。 觸鈴が総社に到着すると觸番の役目が終了します。

 権現町は隔年で輿番の役があるため、觸役は輿番の年は輿役と一緒に、空番(空き年)の年は渡御奉告祭が終わった後、町内に戻ります。 觸番はすでに終了しているため、権現町では觸鈴を手拭いで巻き、それを脇に挟んで音が出ないようにして、町内に戻ります。