水堀 祭典親睦委員会(T-Backs)

二番觸の役割

 二番觸(二番町)の年間を通しての活動から紹介させていただく。

 祭組名・町名の由来についてであるが、見付の宿の中央部の北側に位置し、旧町名は北井上であった。 見付天神裸祭の祭礼では「二番觸」の祭組の通り「觸番」としてご奉仕をしている。 そこから町名変更の時(戦後間もない頃)に、二番町という町名になったと思われる。

 昭和40年の始め、従来の青年会活動が衰退し、祭の運営に危惧した先輩たちにより祭典の運営を中心に行う団体として二番町祭典実行委員会が設立された。 現在その会員数は約80名程度であり、自治会・子供会・PTAと協力をして活動を行っている。

 その内容は、

  1. 「裸祭」と「祇園祭」の運営
  2. 資源回収の実施
  3. 自治会活動への協力と参加 等

 5月の総会を経ると、まず祇園祭のお囃子の練習から始まる。 このお囃子に使用している道具類は百年近くの長い間使用されているものもあり、伝統の重さを感じずにはいられない。

 7月の祇園祭が終了するといよいよ裸祭の準備に取り掛かる。 特に觸鈴の支度には時間をかけて行う。 二番觸では毎年新品の鈴を7丁準備する。 これは「浜垢離」「西中4町の合流」「総社振込」「道中練り」「天神社拝殿振込2丁」「渡御(觸流し)」に使用される新品であり、古いものも含めると約20丁の鈴を毎年締めている。 以前は二番町内には職人の方が多く住んでいて、鈴に使用する柄はクリモノ屋さんで、鈴の補修は板金屋にお願いしていたが、現状では困難になり実行委員会のメンバーが熟練の先輩に指導を受けながら行っている。 二番觸の鈴の特徴は第一に鈴を締めているのが麻縄のみであること。 それゆえ麻縄を編むことから始まり、編んだ麻縄に水分を含ませ、またそれに重しをつけて伸びの調整となる。

 天神社から貰い受けた鈴は鈴口を広げ、鈴を割り、中の石を交換し、鈴巾鐶などをハンダで補強を行い鈴締めを行っている。

 文章で表現するのは簡単であるが、この作業は経験が必要であり、觸番としての責務を果たすべきプライドをもって実行委員のメンバー全員で作り上げている。

 そして、この新品の鈴は大祭当日の朝の御神酒献上の時に三方に乗せ、お祓いを受ける。 その鈴の柄は熨斗と水引が付けられているが、そこに頂いた榊の小枝を挿す。 そしていよいよ裸祭本番を迎えることとなる。

 大祭当日は、見付天神への御神酒献上から始まる二番觸では、御神酒献上と共にその年拝殿などで振られる新調の鈴のお祓いを受ける。 その時榊を頂いてきて、次に会所づくりが始まる。 浜垢離の日に海から持ってきた海水・砂で清め、祭壇には榊と鈴を飾り準備が始まる。 会所づくりと並行して青年たちは、町内の寄付集めを行い昼までには準備は完了となる。 しかし、この間に拝殿で振られる鈴の最後の点検に余念のない若者もいる。

 午後3時になると、西中区3町(元藏車・天王・舞車)の自治会・祭典の役員の方が二番町会所にみえて、梯団運行等の最後の確認をしあう。

 子供連は青年のものが警固長の代理として子供たちを率いて4町合同で練りを行う。

 夜8時過ぎから役員が集まり、腕章の貸し出し、小中学生のためのリストバンドを用意し渡付けとなる。

 二番觸の渡付けは、まず先導者、二列目に役員が2名、その後ろに二番觸の提灯を持った青年が12名で、天王・元藏車・舞車と廻る。 その行動は雄壮であり、いよいよ本番が始まるという雰囲気が高まってくる。

 警固長から觸番としての諸注意があり、その後、町内廻りを経て9時30分に3町と合流して西中区梯団となり道中練りが始まる。

 二番觸では毎年15個前後の鈴を持って行くので、専任の鈴持ち(管理者)が2名用意されている。 新品の鈴は7個。 これは浜垢離、4町の合流、総社の堂入り、大鳥居下からと見付天神拝殿の2個、そして渡御の触れ流し用にと7個を使用する。 振る鈴は必ず1個とし、道中、拝殿内では音の悪くなった鈴を入れ替えする。 これも觸番の役目である。

 そして二番觸の渡御の時の触れ流しは山神社、大鳥居跡、東の梅の木、中川、総社振り込み、玉替と6か所でつないでいく。 これは祭典役員・青年で行い、伝統を受け継いでいる。 渡御が終了するとその年持って行った鈴を練りの中へ全部出し、二番町全員で会所まで戻ってくる。 そして会所前で時間を惜しむように最後に練りを行う。 この時は觸番としての安堵と祭りの後の寂寥を味わう。

 觸番としての役割をしっかりと果し、誇りをもって伝統をつないでいくことが大切であると思っている。