水堀 祭典親睦委員会(T-Backs)

輿番の役割

 「輿番こしばん(輿番)」別名「輿役こしやく」について紹介いたします。 「先供」と「輿番」が祭事における役持ちのなかで、神事にご奉仕する役となります。

 「輿番」とは、大祭1日目の渡御とぎょと二日目の還御を務める祭組、または、これにご奉仕する役の呼称です。 つまり、見付天神の祭神「矢奈比賣命やなひめのみこと」が淡海国玉おうみくにたま神社に渡御され、翌日お帰りになられるその輿を担ぐお役のことです。

 現在、権現と地脇(東中区)が隔年ごとに輿番の奉仕役を務めています。令和6年は権現がこれにあたります。

 ところで、輿番は、長い歴史の中でいろいろな変遷があったと伝えられており、現在の二祭組においても、その従事者数や進行・方法など若干の相違があります。 それもそれぞれが輿番としてのしきたりを守ってきたからと考えられます。

輿役の出で立ち

 輿役(輿従事者)の正装は、白丁はくちょう(上下)・烏帽子えぼし白足袋しろたび草鞋わらじです。 この役は、大祭三日前「浜垢離」において、修祓しゅばつを行い、宵祭よいまつり夕刻には見付天神拝殿西側のお祓い所にて神職による「輿番の清祓きよはらい」をうけ、心身共に浄めて「輿番」としての大役にそなえます。

 輿役の人数は、渡御と還御によって違います。 渡御では、輿脇から輿警護役を合わせて総勢50名程、還御では、諸役を合わせて総勢60名程になります。 なお、輿役の行動はすべてが輿長の指示・号令によって進行することになります。

輿番の堂入り

 午後11時頃、輿役は、正装で輿会所に集合した後、東区梯団の進行をはかりながら見付天神へ向かいます。 そして、境内が「鬼踊り」の熱気と掛け声に包まれている中、六ツ石あたりから一群となって駆け、一気に練りの中を拝殿奥まで入らなければなりません。 いかに灯りの中とはいえ、鬼踊りと化した裸集を割って進むことは大変なことで、しかも、裸集と拝殿奥を仕切る太い丸木を乗り越えるのです。 それ故、先に入った者に手を借りやっと奥に入ることができることもしばしば。

 さて、その拝殿の中は、と言えば、天井に取り付けられたスプリンクラーによる散水と熱気でむんむんと蒸し暑くなっております。 そして、元門車の堂入りを期して行われる宮司・神職による「渡御奉告祭とぎょほうこくさい」はその祝詞のりとが近くにいる先供や輿番にもほとんど聞き取れない状況です。 この時、同じ拝殿内でありながら、丸太を境にした「静と動」のコントラストは、八日間に亘る祭事を凝縮したシーンとみることもできるでしょう。 この間、鬼踊りの掛け声や地団駄じたんだの音は最高潮に達し、深夜の見付に響き渡っています。

 宮司と神職が移動して「山神社祭やまじんじゃさい」が執り行われ、続いて、「觸れ流し」が始まる頃には、輿役は神輿こし出御しゅつぎょに備えてそれぞれ準備に取り掛かります。
輿役の姿は、動きやすくするために白丁上衣の袖は肩までたくし上げられ、袴は股立まただちに変わっています。 さて、おのおのは所定の位置について、目をつぶりながら輿長の指示を待ちます。 境内が急に暗くなった時のために、輿警護役や綱引き役をはじめとする輿従事者が暗闇に予め目を慣らしておく必要があるからです。 さらに、輿役全員の神経を集中させることにもなるからです。

 二番觸出発の合図の煙火えんかと共に境内および見付町内の灯りが消されますが、拝殿内は裸集の思い(お渡りとなれば裸祭が終わってしまう)があって、その掛け声や地団駄の音は境内を埋め尽くした観客の手拍子と一体となり興奮の坩堝るつぼとなっています。

神輿出御

 真っ暗闇になった拝殿奥、輿役は輿長の「お発ち!」の合図で一斉に神輿稟木りんぎをお抱い込みの形で持ち上げ、それぞれが一、二、三と数えながら呼吸を合わせて一歩前に踏み出します。 輿役の全神経が一転に集中し、時が止まったかのように緊張する瞬間です。 興奮の坩堝と化した鬼踊りの真ん中を、綱引き役を先導に警護役に囲まれながら、まさに手探り状態で進まなければなりません。 輿番が最も危険を感じ苦労するのが、一分の隙間もない裸衆の中を拝殿床に触れんばかりに低く下げて鴨居をくぐらせるときです。

 神輿は松明たいまつの明かりに導かれながら境内を進み、お抱い込みのまま天神下までゆっくり下り、本通りに出たところでいったん止まります。 ここで、輿長の「お肩!」の合図によって神輿を肩に担ぎ直し、暗闇の宿場通りを総社・淡海国玉神社まで一気に駆けるのです。 この時、並走する輿役の「オッシ、オッシ」の掛け声は、神輿の前後・左右のバランスを保ち、担ぎ手の呼吸を合わせるのと共に、「頑張れ、もう少し」という励ましの声でもあります。

 中川橋手前からの緩やかな登り坂は、見た目以上の難所です。 肩の痛みは全身に伝わり始め、息がますます荒くなり喉が渇いてきます。 後半分と自分を励まし、一歩一歩足腰を踏ん張りながら走るうちに、総社参道入り口の舞車提灯を見つけたときはホッと一息つける瞬間です。

神輿総社着御

 そのまま総社に向かい庭燎にわびの明かりの中、石段前で神輿をお抱い込みに替えてゆっくりと山門をくぐります。 太鼓の連打に迎えられて拝殿に入り、西側に鎮座させ、飾り付けが済むと「舞車御神酒献上」が行われ「神輿総社着御」となります。

 輿役は無事のお勤めを喜び、それぞれの労をねぎらい、「オッシ、オッシ」の掛け声も晴れやかに総社を後にします。 輿番会所に戻れば祭組の人達が総出で従事者たちを拍手で迎えてくれます。 緊張の糸もほぐれて笑顔があふれ、秋の訪れを感じる心地よい風に吹かれながら足取り軽く家路を急ぎます。

神輿還御

 御大祭2日目の夕刻、輿役はそれぞれ正装にて再び輿番会所に集合の後、早朝より城山中学校の生徒たちによって美しく清掃された宿場通りを、綱の両側縦列になり「オッシ、オッシ」と駆け足で総社に向かいます。 総社周辺も、昨夜の喧噪けんそうとうって変わり、厳かな静けさに包まれています。 神職による「御神幸奉告祭」が執り行われると、神輿は輿役のお抱い込みにより拝殿を出て鳳輦車ほうれんしゃに固定され、午後5時の煙火合図の後「総社出御」となります。

 一行は、先導役の御先供、根元車赤丸高提灯、猿田彦、大太鼓…稚児と続く行列となり宿場通りを西に向かい、加茂川交差点から只来坂を登ります。 そして、境松御旅所にて「御旅所祭」となります。 しばし休息の後、来た道を戻りますが、一行が加茂川橋にさしかかる頃にはあたりも日が陰り始め、法被を着た各祭組の人たちが明かりのついた印提灯を歩道に一列に並べて行列を迎えてくれます。 行列は、お供が増えて、より長く賑やかになります。

 宿場通りから愛宕の坂下まで進んだところで、輿役をはじめとする男衆は神輿の前後に分かれ、愛宕の急な坂道を鳳輦車のギシギシときしむ音を打ち消すかのように、全員が大きな掛け声を発しながら弾むように一気に登り切ります。 しかし休む間もなく、一行は元の行列に戻り、三本松まで向かいます。 そのまま「御旅所祭」を終え、一休み。 稚児たちの和やかな談笑とは対照的、輿役の面々は、はや神輿の振り込みに思いを巡らせているかのような気迫に満ち一層力強く見えます。 休憩後、今度は登った時とは反対に、愛宕の急坂を一歩一歩かかとに力を入れながらゆっくりと下ります。

 日も落ちて20時近く、天神の森はすでに暗闇に包まれました。 いよいよ見付展示の赤鳥居をくぐった一行は、悉平太郎像のあたりで、神輿を鳳輦車から降ろします。 神輿はそのまま肩に担ぎ直して「チンヤサ、モンヤサ」とゆっくりした掛け声をかけながら六ツ石まで進みますが、ここから一転して掛け声は威勢よく「オッシ、オッシ」に変わり、石段前あたりから拝殿前まで埋め尽くされた観客を分けるように駆け上がります。

神輿霊振り

 輿長を先頭にした輿役が拝殿前にて止まると、一瞬の静寂を断ち切るかのように、御神みたま振り(神輿の振り込み)が始まります。 大祭2日間を締めくくる氏子たちのそれぞれの思いとひとつになり、輿役の神輿を抱える手にさらに力が入ります。 観客の掛け声とともに振り込みを続けた後、神輿は輿長の合図で肩に担がれ、そのまま拝殿を右回りに一周して拝殿前に戻ったところで、肩から抱え直され再び振り込みが始まります。 「よーいしょ、よーいしょ」と一段と強く大きくなる掛け声は、静寂に包まれた見付の町に木霊こだましていきます。 漆黒の闇のなか神輿に合わせて上下に揺れる印提灯の美しさは、時空を超え幻想的な感動を生み出します。 輿番は、振り込みが最高潮(約100回位)に達したころ、輿長の合図をもってこれを止め、高揚した勢いで神輿を祝詞殿に納めると、観客の盛大なねぎらいの拍手に見送られながら、万感の思いを胸に見付天神を後にします。

 拝殿内で宮司と神職による「御神霊移し」に続き、関係者一同による「還御後御本殿祭」が執り行われると、これをもって大祭を納めることになります。